ライジングに掲載された泉美木蘭さんの記事をはじめとする、立憲民主党・津村啓介衆議院議員への違和感表明について、X上では「なぜ愛子天皇推進派の津村氏を攻撃するんだ!」という批判も出ています。
そんな中、津村議員本人も、反応したポストを投稿していました。
私自身は上記引用での甘蔗糖さんの発言に全く同感であり、同時に津村議員には
・自分自身でしっかりと説明する姿勢をとっていない
・国民の発言に対する国会議員の対応として「胆力」が無さすぎる
という印象を持ちました。
とはいえ「フェアではありません」とおっしゃるなら、津村議員本人が言及している、氏が「公に発言し、投稿したもの」を引用してみましょう。
これは、令和3年 (2021年)の有識者会議を受けてのポストですが、正直私は読んで唖然とさせられました。
まず詳細な論考の前に、津村議員には「上皇・上皇后両陛下がお元気なうちに、安定的な皇位継承の道筋をつけたい」という想いは無いのだなと感じました。
「想い」なのであくまで「各々の心の問題」ではありますが、私の中に存在する情とは遠い所に居られるのだな、と再認識しました。
さて、具体的な部分に入ります。津村案の②に則ると(極力縮めるとは言っても)「今上陛下の退位までに典範が改正されれば良い」という事になります。
「手続き上」はそうかもしれませんが、それは同時に「皇太子不在」の期間が続き、一子相伝の祭祀の継承、皇太子としての諸外国や国民との関係構築ができないという事でもあります(これは次代の天皇が愛子さま、秋篠宮さま、悠仁さまの誰と仮定した場合も同じです)。
これを最大級の問題と捉えない時点で、現状(皇太子のいない現在の日本は「非常事態」です)認識がズレている。
そして、「令和8年」はまだしも「令和27年」という数字を出している時点で、99%の人の頭には「机上の空論」という言葉しか浮かばないでしょう。
また③について、仮に①が案通りになったとして、さらに仮定で令和9年に愛子さまがご結婚され、令和10年にお子様が誕生されたとしましょう。
そのお子様は、この時間軸だと少なくとも「令和27年、17歳まで自分の将来(天皇になる可能性の有無)がわからない」状態で過ごす事になります。
津村議員の論は、現在国民(国会)が皇室典範の議論を先延ばしして皇族方に与えている苦痛を、先の世代に対しても再度行うものに他なりません。
君民一体となり日本を生きる人としての共感をもって皇族を捉えず、制度をこねくり回すばかりの姿勢は、男系男子固執者と全く同じに見えます。
そうした(マインドの上では全く共感できない)姿勢で、「愛子天皇」というキーワードだけが似通っている事が、私が津村議員に対して大きな警戒感を抱く一番の要因です。
冒頭に引用したポストで甘蔗糖さんは「まるで石破茂のように」と言っていましたが、防衛・安全保障が専門分野と思われていた石破茂が、首相になった途端に「むしろその部分で日本の国益を損なって」いるのが現状です。
石破茂は、現実に対して実効性を持たない、悪い意味でのオタク・マニアだった。
津村議員の言説は、私には石破茂の防衛論と全く同じに見えます。
皇統問題は「来たるべき問題」ではありません。今が(ひょっとすると遅すぎたか、という不安と対峙するレベルの)まさに佳境なのです。
津村啓介議員、「愛子天皇と言える?言えない?」を、今の言葉、行動で示してください。